STORY

エピソード1 エリナの旅立ち(前篇)

メイドと姫君

 切なげな吐息がこぼれる。  声を漏らしているのは後ろ手に縛られ、上体の自由を奪われた下着姿の少女。  豪奢なレースで覆われたその乳房は大きすぎず、かといって小さくもない絶妙なバランスの美しさをもち、くびれた腰とその先へと続く見事な尻の曲線と相まって、魅惑的な肢体を作り出している。  普通の男性なら、この肉体を前に己を抑えることは難しいであろう。  少女が身体をくねらせるたびに、首輪につけられた鎖がシャリンシャリンと楽器のような金属音を立て、その存在を主張する。

アイリ

「お、お願いです……あれを……あれをください」  少女の嘆願と同時に、乳房を覆っていた布がまるで風に舞う花びらのように淡く輝きながら消えていく。  残されているのは、豊かな丸いヒップを覆う小さな布地と首輪から垂れた鎖だけだ。 「あれじゃ、わからないわね。アイリ」  衣服の消失に伴う輝きに照らされながら、エリナは床に転がり無様な姿をさらすアイリに答える。  薄暗い部屋の中にあって、アイリの身体がぼんやりと青白く輝く。  この輝きこそ、彼女が人外の存在、死霊であることの証明。  アイリが、この世界で生きていくために必要な精気が不足すれば、体調も悪くなり、衣服の維持もできなくなって、やがては消滅することになる。  残るのは従属の証としてエリナから与えられた首輪と鎖だけとなるだろう。  いま、アイリは消滅の瀬戸際にまで追い込まれているのだ。 「ほらぁ、答えなさい。なにが欲しいの?」 「精気が……精気が欲しいです」 「それだけ?」 「お、お嬢様の……エリナ様の精気を分け与えてください……」  床から潤んだ瞳でエリナを見上げ、アイリは懇願した。  このまま精気を得ることが出来なければ、夜明けを迎える前に間違いなく消滅してしまうことだろう。そうなれば使命を果たすことは不可能になる。 「ただの精気じゃないでしょ?」  淡々と冷静に冷たい口調でアイリに告げ、エリナはつま先を彼女の眼前へと伸ばす。  手が使えなくとも、舌を延ばせば届くぐらいの距離だ。 「エリナ様の瑞々しい精気を……ください……」  近づいてくるアイリからエリナがそっとつま先を離す。  お預けをくらった飼い犬のように、アイリの表情が曇る。  精気を「奪われる」のではく「与える」ことで、お互いの立場を明確にするのがエリナの目的だ。  そのためにクイーンズブレイドでの勝利条件として、他者から精気を得てはならないと誓わせたのだ。

エリナ

「まだよ」 「そんな……もう、限界です……」 「貴方の限界はその程度なのね……がっかりだわ」  嘲笑しつつ、エリナはゆっくりと右足の装身具を外した。 「犬の方が我慢強いかもしれないわね」  鍛えられた筋肉を内包した美しい足が、夜気の中で無防備に晒されていく。 「アイリ、貴方は何者?」 「私は……」  アイリの表情から躊躇を読み取ったエリナが足を止める。 「貴方の主人は誰? 目の前にいるあたし? それともここにいない誰か?」  これは試しだ。  アイリ自身に忠誠を誓う相手を選ばせることで、立場を明確にする。  エリナが知る由もないアイリの「本当の主人」に忠義立てして消滅するというのなら、それはそれで構わない。  多少の愛着はあるものの数日もすれば、そんな相手もいたわねと思える程度の存在でしかない。  今のところは……。 「あたしは寛大だから、もう一度だけ聞いてあげる」  冷たい眼差しをアイリに向け、エリナはすっと立ち上がった。 「貴女は何者?」 「わ、私は……」  ごくりとアイリの喉が鳴る。 「私はエリナ様の奴隷です……エリナ様の精気なしでは生きていけない存在です……だから……精気を、分けてください」  息を細かく継ぎながらアイリは自分が下僕であることを認めた。  何かの枷が外れたかのように、アイリの身体を守っていた最後の一枚が消えていく。  このまま精気を得ることが出来なければ、次に消えるのはアイリ自身だ。  アイリの宣言を聞いてもエリナは動こうとしない。 「エリナ様、はやく……」  這いつくばったまま、首輪と鎖だけを身に着けたアイリがにじり寄ってくる。 「まだ……足りないわね。衣服と共に礼儀まで消えてしまったのかしら」  冷たく言い放ち、くるりと踵を返して、エリナはベッドへと腰を下ろす。 「メイドでしょう? 何が足りていないかはわかるはずよ」  主人としての威厳を見せつけつつ、エリナは助け船を出した。  使える下僕をむざむざ失うのは勿体ないというものだ。  エリナの言葉にアイリはハッと顔を上げた。 「お願いします。エリナ様、卑しいメイドに精気を分け与えてください」 「そうね。お願いしますって言葉は大事よ」  エリナがすっと足を延ばす。 「奴隷に餌をあたえるのも、支配する者の務め。存分に味わいなさい」  両手を縛られたアイリが、エリナのつま先へと舌を這わせる。 「あっ……」  しびれるような微かな感触に、エリナが声を漏らす。 「ふふふ……美味しい……美味しいですわ、エリナ様」  アイリの舌がエリナのつま先を丹念に舐め回しながら、精気を吸収していく。  肌の色が活力に満ち溢れていくのが、薄暗い中でもはっきりと理解できる。  心地よい脱力感に身を震わせていることを悟らせないように、エリナは身を固くした。 「あら? 感じてますの?」 「バカなことを言うんじゃないわよ」  エリナはアイリの髪をつかんで引き離す。  あくまでも主導権を握っているのはエリナでなくてはならない。  だが……。 (意外と、気持ちいいんじゃないの?)  苦痛を伴うのではないかと思っていただけに拍子抜けなところもある。 「ここで止めてもいいのよ?」  エリナの言葉にアイリの表情が強張る。  アイリの精気吸収はまだ十分には程遠い。  衣服もまだ一部しか再生できていないのだ。 「ちょ、調子に乗っておりましたわ。申し訳ありません……」 「いいわね。その態度」  エリナはにやりと微笑むとアイリの頭を離した。 「ひゃうっ!」  バランスを崩したアイリがエリナの太ももの間に崩れる。 「さあ、言いなさい。私から精気をもらえる感謝の言葉を」 「…………」  アイリの表情に迷いがあることを見抜き、エリナは半歩ほど引き下がった。  まだ心の底からこちらに忠誠を誓っているわけではない。  形だけの忠誠でも言葉にするのには躊躇いがあるようだ。 「エ、エリナ様」 「貴女の主人は誰なの? 私が精気を与えなければ、貴女はどうなるのかしら」  アイリの口元でつま先を揺らしながら、エリナが尋ねる。 「まあ、貴女が消えてなくなろうと私にはどうでもいいんだけど」 「わ、私の主人は……」 「主人は?」 「エリナ様です……」  躊躇いながらもアイリはエリナが主人であると言葉にした。  言葉だけでも、あえて口にすることに特別な意味がある。 「じゃあ、主人としての勤めを果たさないとね」  エリナは微笑みながら、つま先をアイリの口元へと向けた。 「ん……あっ……」  エリナの舌が指先から足首、ふくらはぎを経て、太ももへと伸びてくる。 「ほらほら、がっつくんじゃないの。はしたないわね」 「だって……エリナ様の精気があまりにも美味しいんですもの」  アイリの声には先ほどまでの弱々しさはない。  精気を得たことで、普段の調子を取り戻している。 「エリナ様も、気持ちよかったら声を上げていいんですよ」  吐息を吹きかけながら、エリナの柔らかい肌を舌でなぞっていく。 「むしろ、声を上げてくださったほうが、私としては精気がおいしくなるのでありがたいのですけれど」  アイリの舌がふともものさらに奥、足の付け根へと迫る。  精気の吸収効率は体内に近い部位、生殖器や唇などの部位の方が圧倒的に高い。 「調子にのるんじゃないわよ」  それ以上を許すつもりはない。  エリナはアイリの頭をぐっと抑えつけた。 「主人が下僕に奉仕することはないのよ」  快楽に飲まれるつもりはこれっぽっちもない。  興味がないわけではないが、今はその時ではない。 「エ、エリナさまぁ……」  残念そうに、さらなる精気を要求するアイリの鎖を手に、エリナは立ち上がった。 「口を開きなさい」  足元で跪いていたアイリが言われるまま、顔を上げ口を開く。 「良い子ね。ご褒美をあげるわ」  エリナは自らの唾液で濡らした指先でアイリの唇をなぞった。  赤い唇が艶めかしく濡れていく。 「あん……」  アイリの舌がエリナの指先を追って、妖しくうごめく。 「そんなに欲しいの? はしたないわね」  指先を口の中へと差し入れると、アイリはためらうことなく唇を閉じ、むしゃぶりついてきた。 「エリナさまぁ……もっとください……」 「仕方がないわね」  エリナは指を引き抜くと、上から覆いかぶさるように自らの唇をアイリの唇に重ねた。

旅立ち

先の項よりさかのぼること数週間前

 夜であっても、エリナの室内は昼間のように明るい。  光源となるランプと、光を反射する鏡。  いずれも高価なものが、惜しみなく部屋を飾っている。  豪華な調度品の数々に交じって、無粋ともとれる布袋が部屋の片隅に置かれていた。  無骨な布袋の中身は、長旅に必要な物。  衣食住を補うための物品が収められている。  あとは移動手段さえあれば、いつでも旅を始められるだろう。  準備は完璧だ。  本当に必要なものは、それらを用意する資金なのだが、これもまたエリナには簡単に用意することができる。  なぜなら彼女は大陸を二分する巨大勢力、ヴァンス伯爵家の第二後継者なのだから。

エリナ

 問題はどこからこの巨大な城を出て行くかだ。  外敵の侵入を許さぬ堅牢な伯爵城、裏を返せば脱出もまた同じぐらい難しいということでもある。  まして、エリナの部屋は最上階である。  姉であるレイナの出奔を受け、ロープの代用になりそうなものは父の命令で撤去されてしまった。  窓も開かないように、職人の手で封じられている。 「お父様は何を恐れていらっしゃるのかしらね」  窓の外に広がる夜景に目を向けながら、エリナはため息を吐いた。  眼下には湖畔に広がる城下街と領土を守るための長城、さらに遠くには支城のかがり火が見える。  視界に映るものすべてが、彼女の父親が統治する世界だ。  この世界にレイナの姿はない。 「やはり後を追うのか」  夜景を見ていたエリナの背後から声がかかる。 「もちろんですわ」  エリナは振り向きもせずに声の主、義姉であるクローデットに応えた。 「第一後継者たるレイナ姉様を連れ戻すのは、支配する者としての務めです」  人払いを済ませたエリナの私室に堂々と入ってこれるのは、この地の支配者ヴァンス伯爵と義理の姉である彼女だけだ。 「支配する者の務め……おぬしの口癖だな。しかし、それが本当の理由ではあるまい」 「ふふ。それにしてもよくおわかりになりましたわね」  エリナの旅支度は極秘に進められていた。  知っているのはエリナ本人と彼女の腹心ともいうべき侍女の二人だけだ。  仮に父が部屋に入ってきていれば、あっさりと気付けたかもしれない。  だが、父がエリナの部屋を訪れることはありえない。  用事があったとしても、執事や家令を通じてエリナを呼びつけるのが常だ。 「どこから情報が漏れたのかしら? 場合によってはあの娘に罰を与えないといけないかもしれないわね」  今も隣室で待機しているであろう侍女を思い浮かべ、エリナはため息を吐いた。  口の堅い娘だが、父親やクローデットに命じられれば、知らぬ存ぜぬを突き通すのは難しいだろう。 「調べるまでもない」  クローデットが少し寂しげにふっと笑う。 「レイナを誰よりも慕うおぬしが後を追わないはずはないからな」  エリナの世界にレイナしか存在しないことをクローデットは誰よりも知っていた。 「わたしにも立場というものがある」  長女であるクローデットは妾腹という立場であり、継承権をもってはいない。  この地に残った継承者であるエリナまで出奔したとあっては、領内の混乱は避けられないだろう。 「おぬしが出奔しないように目を光らせておけと伯爵からも言われているのでな」 「そうでしょうねぇ……でも、姉様を見つけることができるのはあたしだけなのよ」 「言い切るものだな」 「当たり前でしょ、その証拠にお父様が金で雇った連中はいまだに姉様の居場所をつかむことすらできないじゃない」 「心当たりでもあるのか?」 「あるわ!」  エリナはきっぱりと断言した。 「有象無象の追跡者ごときに遅れをとる姉様じゃないわ。そのことはクローデット義姉様もご存じのはずよ」  ヴァンス伯爵家は尚武を重んじる家系だ。  長女であるレイナ、次女のエリナといういわゆる姫君であっても、一流の使い手と互角以上の武術を身に着けている。  エリナの言葉にクローデットも頷くしかない。  大人しそうな姫君の見た目に反し、レイナが身に着けた様々な技術は一軍を率いる将に任ぜられたクローデットも舌を巻くほどのものだった。 「だから、あたしが探さないとダメなのよ。クイーンズブレイドの掟とやらで、どこの誰ともわからない下賤な女にへんてこな約束をさせられる前にね!」  自信満々にエリナは宣言した。  エリナの卓越した技量もまたレイナと互角、勝るとも劣らぬものであることをクローデットもよく知っている。 「おぬしの決意はよくわかった。だが、知っていて止めなかったでは、父上に顔向けができない」  そう言ってクローデットは一振りの槍と、一本の酒瓶をエリナに見せた。 「それは?」  エリナの目が槍を注視する。 「武器屋カトレアに作らせた特注品だ」  大陸でも業物を生み出す鍛冶屋カトレアの名はエリナもよく知っている。 「わたしからの選別だな」 「選別ってことは?」 「止めても行くのはわかっている。おぬしたちの玉座はわたしが温めておくとしよう」  クローデットは寂しそうにほほ笑むと、酒瓶をテーブルの上に置いた。 「そっちは?」  エリナは酒瓶を指さした。  実はクローデットは酒に弱い。質実剛健、文武両道、才色兼備の完璧女将軍と称される彼女の唯一の弱点といっていい。  そのことを知っているのは家族だけだ。 「これは言い訳のための準備だ」 「義姉さま……」 「出奔する気配がないか調べに行ったところでエリナから酒を勧められ、断り切れなかった私の不覚という筋道だよ」  そういってクローデットは酒を煽った。  エリナは自分を見逃すために汚名を被ることを選んだ義姉の配慮に感謝した。

ミシェル逃走

 荒い息を吐きながら笛を手に少年ミシェルは森の中を走った。  街道から外れた獣道、手入れもされていない下生えが彼の足をもつれさせる。 「うわっ!」  転がり、泥まみれになりながらも、ミシェルは即座に立ち上がり走り出す。  痛みに震えるのは後回しだ。 「お待ちください~」  背後から女性の声が響く。  宙を飛びながらミシェルを追いかけてくるのはメイド服姿の少女。  アイリと名乗り、ミシェルの保護を申し出てきた。  だが、今、彼はアイリの手を逃れようと懸命に走っている。 「待てと言われて、逃げる足を止める人はないでしょ」  小声でつぶやき、足を速める。  心臓が激しく脈動し、足は熱をもって重たくなる。  それでも足を止めるわけにはいかない。

アイリ

「なぜ、逃げるのでございますか?」  背後から追いかけてくるアイリが、人魂を飛ばす。  これこそが、ミシェルが彼女のもとから逃げ出した一番の理由だ。  人魂や鬼火を駆使するアイリもまたこの世ならざる存在、死霊だったのだ。 「足止めを」  小声で人魂に命じ、アイリもまた少年を追う。  障害物が存在しない分、 空中を飛んでくる人魂のほうが遥かに早い。 「死霊に追いかけられたら逃げるにきまってるでしょ!」 「なぜですの? 理解に苦しみますわ」  空中を滑るように移動しながら、アイリがかわいらしく小首をかしげる。 「まずは話だけでも聞いていただけませんか?」 「そういって、拘束しようとしたじゃないかーっ」  ミシェルは叫んだ。  できるだけ大きな声で、誰かの耳に届けば助けが来るかもしれない。 「逃げようとするからですわ」  アイリは呆れたように言いつつ、人魂を操る。 「捕らえなさい」  少女の言葉を受け、森の中を先回りした人魂が少年の行く手を遮る。  物理的な攻撃力をもたない人魂だが、体力や気力、生命力を奪うことはできる。  人魂に触れられれば、逃走を続けることは困難になるだろう。 「これで詰みですわ」 「うわぁっ!」  反射的にミシェルは手にしていた笛を人魂に叩きつけた。 「無駄ですわ」  実体を持たない人魂に影響を与えられるのは祝福を受けた聖なる武器か、魔法で強化された道具だけだ。  だが……その行動は無駄ではなかった。  銀色の装飾が施された白亜の笛に触れた瞬間、人魂は光り輝く霧となって文字通り雲散霧消したのだ。 「そんな……いえ、そういうことですのね」  アイリは驚きながらも、何かを納得したようにつぶやいた。 「その力……間違いございませんわ」  ミシェルが手にした笛の入手。  それは彼女が主人から受けた命令の一つでもある。 「とはいえ、うかつに近づくのは危険ですわね」  アイリが足を止める。  人魂を消滅させる威力の笛、彼女にも不利な影響がないとも限らない。  なんらかの手段を講じる必要がある。  彼女が足を止めた隙を見逃すことなく、ミシェルは逃走を再開する。  森を抜け、陽光のもとに出れば死霊たちが追いかけてくることはできないはずだ。 「街へ、少しでも人の多いところへ行けば……」

情報屋

 ヴァンス伯爵領にほど近い自由都市同盟に所属する都市国家の一つシェルダンス。  伯爵領を出た者が必ず立ち寄る都市に、エリナも当然のように滞在していた。  彼女がこの地にやってきたのはただの移動ではない。  身内を相手に情報工作を行うという行為には、少々の躊躇いがあったものの、伯爵領を出る前にエリナは自身の腹心である侍女を使って伯爵がレイナ探索のために雇った密偵のリストを手に入れていたのだ。 「で、報告を聞かせて」  多くの人でにぎわう市場の片隅に広げられた屋台の軒先でエリナは、正面に座る褐色肌のエルフに声をかけた。 「その前に、あんたが本物だって証拠を見せて欲しいかな」  やや露出過多という出で立ちのエルフが足を軽く組む。  腰回りを保護しているのはまるで生きている銀色の蛇のような装飾物だけという異様な風体だ。 「疑り深いのね」 「報告は直接って言われている。変更があったとは聞かされていないんでね」  そう、彼女と接触するためにエリナは面倒な手順を踏んだ。  目の前にいるエルフはただの情報屋ではない。  報酬次第では単身で要人暗殺すらやってのける手練れ中の手練れ、本来ならば接触するだけでも難しい存在だ。 「一刻も早く連れ戻すために、お父様は私を名代として派遣なさったのよ」  そう言ってエリナは伯爵家の記章をかざした。  レイナに続いてエリナまで出奔したという情報は広まっていないはずだ。 「ふうん、本物のようだね」 「当たり前じゃない」 「ご令嬢自ら護衛もなしに情報の受け取りとは……」 「何よ?」  エリナは軽く口元をとがらせた。 「不用心にもほどがあるんじゃないかと思ってね」 「あら? 貴女が噂通りの人なら依頼主の娘が目の前で危険な目にあうのを見過ごすような真似はしないでしょ」 「どんな噂なんだか」 「あたしは貴女を信用して一人で会いに来たのよ。さあ、話してちょうだい」 「大した度胸だよ。まったく」  エルフは呆れたようにつぶやくと自分が知っているレイナの動向について語りだした。 「耳を澄ましな、雑音が入っても責任はもたないぜ」  周囲を行きかう人々の耳には届かない特殊な発声方法により、彼女の言葉はエリナ以外には届かない。 「伯爵令嬢レイナは美闘士として、いくつかの公式試合を済ませ、順調に勝利を重ねている。基本的に自分から仕掛けた戦いはない。ただその中には、屈強な美闘士として知られる荒野の義賊リスティも含まれている。リスティに勝利したことで、レイナの名は多くの美闘士に知られるようになった」 「さすがは姉様、凡百の美闘士ごときに負けるはずないわ」 「リスティに勝利したレイナは、伝説の秘境マラマクスを目指すと語ったそうだ。つまりマラマクスへの道筋を追えばレイナに接触できる機会は増えるだろうね」 「マラマクス? あれって……」  最強の美闘士が統べる伝説の秘境マラマクス。  もっとも知られている伝説によれば、都へと通じる門は、最強の美闘士にのみ開かれるという。  一説には、死後の美闘士がたどり着く究極の境地、天国に存在する都とも、また都を統べる魔神王が、美闘士のハーレムを築いているなんていう説もあるぐらい、真実の姿が判明していない幻の都だ。 「お姉さま……そんな、おとぎ話みたいな話を」 「おとぎ話じゃない。マラマクスは存在する」  ややあきれ顔になったエリナと対照的にエルフは真面目な口調で断言した。 「言い切るわね」 「お嬢ちゃんたちより長く生きてる分、物事をしっているからねぇ」  エルフはそう言うと席を立った。 「ちょ、ちょっと、情報ってこれだけなの?」 「くくく……、親元を勝手に離れたお嬢ちゃんに話せるのはここまで」 「な!」  絶句するエリナに向け、エルフは微笑みを浮かべると雑踏の中へと姿を消した。 「気に食わないわね」  あのエルフは最初からエリナの出奔を知っていたのだ。 「弄ばれた気分だわ」  相手の力量を認めつつ、エリナは顔をしかめた。

エキドナ

遭遇

「ふう……」  城塞都市の門を潜り抜け、ミシェルはようやく安堵の息を吐いた。  人魂による追跡は森を抜けたところで止まった。  そこから先は、街道を行き来する馬車に乗り込んでここまでたどりつけた。  さすがの死霊も、街の中へと入ってくることは出来ないだろう。 「ここまで来れば、大丈夫かな」  確認するようにつぶやきながら、ミシェルは笛に手を伸ばした。  記憶にある限り自分が手にしていた唯一の品物。  感触を共有するがゆえに他者には、決して委ねることはできない。  アイリはこれを狙っていた。  何のために?  死霊である彼女にとって、この笛の効果は致命的といってもいいはずだ。  欲する理由が思いつかない。 「試合だ! 試合が始まるぜ」 「本当か! よし、賭けをしようぜ」  思案するミシェルのすぐ横を、大人たちが興奮気味に語りながら通り過ぎていく。  いまの時期、ある程度の規模以上の街ではクイーンズブレイドの公式試合が行われることは珍しいことではない。  美闘士同士の偶然の遭遇による公式試合は、人々の大きな娯楽となり大賑わいをみせている。  公式試合には、天使が姿を見せ審判を行うと言われている。  さすがの死霊も天使とは会いたくないだろう。 「少しは休めるといいな……」

ミシェル

 行きかう人々の様子をうかがいながら街路を歩いていたミシェルの足がふと止まる。  雑踏の中、こちらを見つめる視線がある。 「まさか……」  メイド服姿の少女、彼を追いかけていた死霊アイリの姿がそこにあった。 「お待ちしておりましたわ」  恭しく一礼するアイリに背を向け、ミシェルは一目散に駆け出した。  捕まったら最後だ。  そんな危機感がある。  声にならない叫びを上げ、ミシェルは走った。 「あらあら、私、そんなに怖いのでしょうか? ちょっと傷つきますわ」  人混みの中を華麗かつ優雅に迫るアイリ。  唐突に始まった追いかけっこは、唐突に終わりを告げた。  逃げ続けた疲労からか、ミシェルの足がもつれ、倒れこむ。 「ひゃっ!」  だが、ミシェルが地面に転がることはなかった。  彼が感じたのは冷たい石畳の感触ではない、柔らかく心地よい匂いのする感触だった。 「な、なによ!? 一体!」  頭上から声が聞こえてくる。 「貴方ねえ、どこに顔をうずめてるのよ?」  慌てて顔を上げたミシェルの視界に広がるのは、柔らかそうな胸の谷間だった。 「ひゃ、ひゃあ、ご、ごめんなさい!」  慌てて立ち上がろうと伸ばした指先が柔らかいものをつかむ。  むにゅんとした弾力。 「あ!」  手の中に広がる気持ちの良い感触をミシェルは思わず確かめる。  むにゅむにゅ。 「こ、こらぁ!」  恥じらいを含んだ怒りの声がミシェルを現実に引き戻す。  自分がつかんでいたのは、押し倒してしまった相手の乳房だったのだ。  自らがしでかしてしまった破廉恥な行為にミシェルの顔が一気に赤くなる。 「え……いや……その……」

「支配する者の胸をもみしだくとは、いい度胸ね」  エリナは冷たい口調で自分を押し倒した少年を睨みつけた。  いくら考え事をしていたとはいえ、往来の真ん中で押し倒されるとは……。  なんという失態!  この場で、この少年を叱責して打ちのめしてもいいぐらいだ。 「ご、ごめんなさい」 「いいから、早く手をどかしなさい」  自分の胸から手を離そうとしない少年を強く睨みつける。 「ひゃっ、す、すみません、すみません」  詫びながら少年が飛び退く。 「まったくねえ……」  唇を尖らせ、エリナは少年に目を向ける。 (ふん、意外とカワイイ坊やじゃないの)  汗で張り付いた髪や、やや充血した瞳に疲労の色が見えるものの、顔だちは悪くない。  幼いころのレイナに似た利発そうな雰囲気がある。 (こういう弟が欲しいと思ったこともあったかもね)  エリナにとって見事なまでの許容範囲だった。  むしろ狙いすましたぐらいにツボと言ってもいい。 「やれやれ」  ゆっくりと上体を起こし、先に立ち上がった少年の姿をしっかりと観察する。  着ている衣服は汚れてはいるものの上物だ。  名のある貴族か、裕福な家の子供なのだろう。  目を引くのは腰にさげている笛。  透明感ある白い素材、磁器か石を丹念に磨き上げたものだろうか、もしくは動物の骨かもしれない、そんな感じの本体に銀のラインが丁寧に象眼さえている。  ぱっと見ただけも名工の作品だとわかる代物だ。 「ほら、手を貸しなさい」  エリナは腰を下ろしたまま、手をまっすぐに伸ばした。 「え?」 「え、じゃないわよ」  戸惑う少年に向けて、優しい口調でエリナは話しかけた。 「貴方は自分で押し倒した女性に手を差し伸べることもできない無作法者なのかしら?」 「す、すみません。ぼく、ちょっと慌てていて」 「それは理由にならないわね」  差し伸べてきた少年の手を取り、エリナはゆっくりと立ち上がった。  ふわりと優雅に、少年にはまったく負担を感じさせない動きだ。 「でも、これで許してあげるわ」  少年の腰に下げていた笛にエリナが手を伸ばす。 「あ!」 「良い物をもってるのね」  エリナは素早く笛を取り上げると、しなやかな指先でそうっと撫でた。 「ひゃうううう、だ、だめぇ、それはダメだよぉ!」  少年が身体をびくんと震わせるが、エリナの視線は笛に注がれていて気付かない。 「懐かしいわね。よく吹いたものよ」  笛にエリナの赤い唇があたる。  ふうっと息を吹き込んでみるものの、音が鳴る気配は無い。 「あら?」 「お、おねえさん……そ、それ……返してぇ……」  頬を紅潮させ、身体を震わせた少年がエリナの手をつかむ。 「ど、どうしたの? 体の調子でも悪いわけ?」  思わずエリナは笛を強く握りしめた。 「あうっ」  少年が身体をびくっとのけぞらせる。  その様子に、勘の良いエリナはあることを察した。  握っていた笛に、もう一度唇を付け、今度は少し荒々しく息を吹き入れる。  声にならない声を上げ、少年は膝を震わせて座り込んだ。  間違いない。  この笛に与えられた刺激が少年に伝わっている。  と同時に、自身の気分も変わっている。  情報屋のエルフにしてやられて、少々腐り気味だった気分が前向きになっている。 「早く……返して! 追いつかれちゃう」 「貴方、追われているの?」  エリナの問いに少年が震えながらうなづく。  往来の向こう側から、ひんやりとした冷気が漂ってくる。  俗にいう嫌な気配というやつだ。 「あれが貴方を追いかけている者かしら?」  冷気を漂わせ、メイド服姿の少女がゆっくりと近寄ってくる。 「やっと追いつきましたわよ」  礼儀正しい口調の裏側にある威圧感にあてられたのか、少年がエリナの影に隠れる。 「その笛は正当なる所有者のもの、貴女が手にしてよいものではありません」

支配する者の務め

「正統なる所有者?」 「そうですわ、その少年、ミシェル・リヴァランシエル様と魔笛カテドラルはわが主のもの」  優雅な口調で告げながら、メイド服の少女は一振りの鎌を手にした。 「抵抗なさるなら、痛い思いをすることになりますわ」  ミシェルを背にエリナはメイド服の少女と対峙する形となった。  お互いに武器を持つ女性同士が向き合う事態に、クイーンズブレイドの発生を予感した人々が集まり始める。街角や辻で突発的にはじまる公式試合は、一般庶民にとって無料で楽しめる娯楽なのだ。 「ぼ、ぼくは誰のものでもないぞ」 「この子は、貴女から逃げているのよね」  エリナが問う。 「貴女の主とやらも、この子には所有者として認められていないわけね」  逃亡した理由は後で聞けばいい。  ミシェルと別れるのは、自分を押し倒したことの詫びをさせてからだ。 「それは貴女には関係のないことでは?」  ひゅんと鎌を回転させて、メイド姿の少女が間合いを近づけてくる。 「逃げる者、弱き者を守るのは、支配する者の務め」  槍を手にエリナはメイド姿の少女に向けて宣言した。 「お、お姉さん……」 「貴方に問うわ」  エリナは背後のミシェルに尋ねる。 「助けてほしいの? どうなの?」  エリナの問いに、ミシェルは小さく助けてとつぶやいた。 「最初から、そう言えばいいのよ」 「敵対関係となりましたわね。残念ですわ」  メイド姿の少女は鎌を大きく構え目を閉じた。 「我が名は、冥途に誘うものアイリ」  アイリの正面にクイーンズブレイドの紋章が展開する。 「公式試合、受けていただきますわ」  美闘士同士の戦いの始まりに、周囲に集まってきた民衆の期待が高まる。  だが、アイリの正面に立つエリナの前には紋章が浮かんでいない。 「残念ね」  エリナは口元に笑みを浮かべ、槍の石突を近くの軒下へと向けた。 「私は美闘士じゃないから、それに従うつもりはないわ」  そう言ってエリナは少年を小脇に抱えると槍の握りを軽く回した。  ぷしゅっと空気が噴き出す音を立て、石突が鋼線を伴い射出される。 「なにを?」 「ごきげんよう。アイリ」  呆気にとられたアイリと民衆の前で、エリナとミシェルは空中へと舞い上がった。 「ひゃああああっ!」  予期せぬ縦方向への移動にミシェルが悲鳴をあげる。  街全体が見渡せるほど高く二人は飛び上がった。 「クローデット義姉様の仕込み、役に立ったわね」  特製の槍に仕込まれていた捕縛用鋼線の巻き取り能力を利用し、戦場からの離脱に成功したエリナはミシェルを小脇に抱えたまま着地点を探す。  頑丈そうな屋根で無ければ二人の体重を支え切れない。  自由落下のわずかな時間で、エリナは着地点を見極め、屋根の上に降り立った。 「お待ちくださいッ」  階下から聞こえるアイリの叫びを無視し、エリナはミシェルの手を引いて屋根の上を駆け抜ける。 「逃げるわよ」  ここなら障害物になるような通行人はいない。

逃走~森の番人VS光輝の聖女

「お待ちくださいッ」  戦場を離脱したエリナに向けてアイリが叫ぶ。  即座に追おうにも、公式試合を目当てに集まっていた民衆が邪魔で身動きが取れない。 「くうううううっ」  してやられたくやしさにアイリは唇を噛んだ。  死霊に影響を与える魔笛を防ぐためにアイリが案じた策。  それは、ミシェルを美闘士に保護させ、その美闘士と公式試合を行い、勝者の権利である願いを利用してミシェルから魔笛を取り上げるというものであった。  美闘士に保護させるという策は成功したかに見えたのだが……。  最大の誤算は、ミシェルを保護したのが美闘士ではなかったということだ。 「しかるべき報いをうけさせてやらなければなりませんね」  暗い炎を感じさせる瞳でアイリは二人が逃げ去った方向を睨みつけた。

 屋根の上をエリナは人気の多い方向を目指して飛ぶように駆け抜けた。 「お、お姉さん、ま……待ってぇ……」  不安定な足場の上を引きずられる恰好になったミシェルが息も絶え絶えに訴えてくる。 「ダメよ。もう少し、我慢しなさい。男の子でしょ」  あの手合いは執念深い。  距離を稼がないとすぐに追いついてくる。  気配を消すには、人気の多い場所へ行かなくては……。  エリナの視線がある一か所に止まる。 「あそこにしましょうか」  光り輝きながら空中に消えていくクイーンズブレイドの紋章。  公式試合が行われている場所ならば、天使がいるはず。  死霊もおいそれと手出しはしてこないだろう。 「行くわよ」  ワイヤ―を巧みに使い、エリナはミシェルを抱え再び宙を舞った。  早い。  あっという間に景色は背後へと追いやられ、新たな視界が広がっていく。  地上の雑踏に影響されることなく、二人は公式試合が行われている広場を見下ろす場所へと着地した。 「これで、大丈夫だといいけど」 「も、もうついていくので精一杯だよぉ」  肩で息を継ぎながら、ミシェルがぐったりと屋根に腰を下ろす。 「しばらくは休憩できそうね」  あたりを見渡してアイリの姿が見えないことを確認し、エリナは武器を仕舞った。 「そ、そう……よかった」  ミシェルが安堵の息を吐く。  眼下で戦う美闘士は実に対照的な組み合わせだった。  肉感的な肢体を誇示し、金属で補強された聖典を武器とする女性と、細身のハーフエルフの美少女。事前に入手した情報によれば、女性の方は光輝の聖女メルファ、対するのは森の番人ノワ。  手にした戦杖を使い、やや変則的な間合いで戦うノワに対し、メルファは完全に受け身に回っている。

ノワ

「つまらない試合ね」 「そうなの?」 「メルファに起死回生の策でもあれば別だけど、このままノワの攻撃を受け続けていれば……結果がどうなるか、わかるわよね?」 「メルファの負け?」 「そういうこと」 「でも、起死回生の策があったら?」 「それは戦ってみなければわからないわ」  エリナがつぶやいた瞬間、眼下の民衆が一斉にざわめきの声を上げた。 「聖なるポーズだ!」  民衆の声に誘われ、視線を聖女に向ける。

メルファ

「な!」  エリナは思わず絶句した。  メルファがスカートのすそを上げ、下着もあらわなポーズを取ったのだ。  なんという破廉恥な……エリナがそう思った瞬間、奇跡が起きた。  メルファの姿を見つめていた民衆とノワが硬直している。 「聖なるポーズ、束縛っ……!」  ノワに向け宣言し、メルファが聖典のページを開く。 「悔い改めてください!」  メルファの言葉と同時に硬直していた民衆が一斉に膝をつく。  奇蹟の秘儀を目の当たりにし、エリナは思わず喉をならした。  相手の行動を制限するこの技があれば、メルファが勝機をつかむのは難しいことではないだろう。  だが、ノワは屈しなかった。  ロッドを使い、石畳をたたくや反動で大きく飛び上がる。 「ノワは反省することなんてないよ!」  空中で回転、威力を増したロッドがメルファに迫る。 「加護を!」  光り輝く聖典でメルファがロッドを受け止め、弾き返す。  この試合、意外にも互角の勝負となりそうだ。 「ところで……」  試合から目を離し、エリナは傍らのミシェルに尋ねた。 「貴方、名前は?」  先ほどのアイリとのやりとりで名前は聞いていたが、礼儀として自分から名乗らせることが大事だ。 「ミシェル・リヴァランシエル……ミシェルと呼んでください」 「で、何者なわけ?」 「ごめんなさい。名前ぐらいしか覚えてないんです」  ミシェルは困ったように答えた。  それが自分の名前だという認識はある。 「私の名前はエリナ」 「エリナ……」 「呼び捨てはダメ。エリナ様と呼びなさい」 「はい、エリナ様」 「それでいいわ……いろいろ貴方には聞きたいことがあるのよ」  真面目な表情でエリナはミシェルを見つめた。  なりゆきで助けることになったとはいえ、はっきりとさせておきたいことがある。 「は、はい」 「あたしに言わないといけないことがあるはずよね」 「助けてくれてありがとう」 「よろしい。でもそれは当然のことだし、礼を求めているわけじゃないわ」 「えっと……」  エリナは頬をわずかに染め、自分の胸を指さした。 「あ……」  自分の手のひらに伝わった感触を思い出したのか、ミシェルも顔を赤くする。 「えっと……柔らかかった。大きさもちょうどよくて」 「そうじゃない!」  エリナは声を荒げた。  そんなボケは期待していない。  大きさや形には自信がある。  わざわざ言われなくてもよい。 「女性を押し倒して、あまつさえ……揉むなんて……ちょっとひどくない?」  一応、あの場でミシェルは謝罪を口にはしていたのだが、あれだけではエリナの気がおさまらない。 「も、申し訳ありません」  エリナの態度にミシェルは思わず土下座をした。 「許してください。事故だったんです」  悪気がないのはわかっている。  事故といえば、事故だ。  いきなり胸をもまれて恥ずかしかったことに違いはない。  とはいえ……。  あまり頑なになるのも、支配する者としての度量に欠けるというものだろう。 「許してあげる」  エリナの言葉にミシェルが顔を上げる。 「で、どうしてアイリに追われていたわけ?」 「身に覚えがないんです。気が付いたら、追いかけられていて……名前は思い出せたけど他のことは、なんだか霞か雲で覆われてるみたいにぼんやりしていて……」 「記憶喪失ってやつかしらね」  そう言いながら、エリナは先ほどから預かったままだった笛を手にした。 「ひゃう……」 「何、変な声あげてんのよ」 「そ、それ大切に扱ってくださいよぉ。大事な笛なんです」 「大事な笛ねぇ」  エリナは笛の表面を爪先で、つうっとなぞった。 「ひあっ! だから……や、やめて……」  ミシェルが内股になってへたり込む。 「高価な品物だって言うのはわかるけど、こんな音の出ない笛、価値がないでしょう」  音の出ない楽器など、切れない刃物と同じ、無用の品物にすぎない。 「工芸品としては評価できるかもしれないけど」  象眼された銀のラインにそっと指を這わし、人差し指を親指で輪を作る。 「あ……」  その輪をゆっくりと動かして笛をなぞり、往き来させる。  槍を突き出すときと同じ要領、俗にいうしごくという動作だ。 「ん、それ……、だめ……」  へたり込んだミシェルが声を漏らすのと同時に、笛の形が変化する。 「なに? これ……形が……」  新たに黄金のラインが浮かび、より大きく力強い形になっている。 「その笛はカテドラル……僕の身体であると同時に聖地マラマクスの門を開く鍵」  息をとぎらせながら語ったミシェルの言葉に、エリナの目が大きく開く。 「マラマクス」  思わぬところでレイナの行方とつながったものだ。  本当にこの笛がマラマクスの鍵ならば、ミシェルを保護したこの流れは天啓と言ってもいいかもしれない。 「カテドラルが音色を刻むのは、マラマクスに向けた時だけ」  ミシェルの言葉を確かめるようにエリナは両手で笛を構え、息を吹きかけた。 「あう……や、やさしく吹いて……」  僕の身体と言うだけあって、なんらかの魔法的作用が働いているのか、笛に与えられる感触がミシェルに伝わっているようだ。  笛を吹きながらくるりと一周してみると、たしかに一定の方角を向いた時だけ、微かに音が鳴っていることが確認できた。  と同時に、鋼線をつかった無茶な移動で疲労していた筋肉の疲れが消えていくのが感じられる。 「これは……やばいわね」 「ええ……や、やばい……です」  頬を上気させ、ミシェルはエリナを見上げ……目をそらした。  下半身を隠すようにしてへたり込んだミシェルの位置からだと、エリナの下着がはっきりと見えてしまうのだ。  ただでさえカテドラルを介して刺激されている身体に、その景色はダメ押しすぎる。 「貴方、何者なの?」 「ぼくにもわかりません……ただ、頭の中で声がするんです。強い美闘士と共にマラマクスへ行けって」 「ふーん」  エリナはちょっとだけ拗ねたように唇を尖らせた。  自分は美闘士ではない。  先ほどまではミシェルを保護したことを天啓のように感じていたのだが、条件に自分が合致しないとなれば、話は別だ。  レイナの目的地であるマラマクスの鍵は必要なのだが……。  エリナは眼下で続く戦いから目を離した。  他人の戦いの結果には興味はない。  考えをまとめられる場所が必要だ。 「おあつらえ向きなのがあるわね」  エリナの視線が少し先で煙突から煙を上げている建物をとらえる。  上がっているのはただの煙ではない。  湯煙だ。 「ちょっと整理しましょうか」  笛の効能か、疲労は完全に回復しているものの、汗の匂いが気になってきた。 「整理?」 「昔から、良いアイデアが浮かぶのはベッドの中か、お風呂の中って決まっているものなのよ」

次回に続く

美闘士たちの物語


世界中の美闘士たちが集う、四年に一度の命懸けの闘技会、クイーンズブレイド
この大陸では初代女王が始めた伝統に従い、最も強い女性がすべてを支配する。
天使の立会いの下におこなわれる公式試合での勝者となった者は、敗者にどんな命令でも下すことができるのだ。
自慢の武器を奪うもよし、奴隷として仕えさせるもよし、そして現女王を倒しその座を奪う事すら許される!
辺境貴族の娘エリナは、すべてを捨てて美闘士となり出奔した愛する姉レイナを追って、自らも旅立つのであった。

Text By 沖田栄次